晩年

ハアハアハアハア

人生

人生について考えていたら完全に参ってしまいました。

 

 

人格形成期において経験した出来事って人生に取り返しがつかないほど影響を与えると思うんだが、それは自分の場合確実に中学生の時だったと思う。

 

別に虐められていたわけではないが、"いじられキャラ"ではあった。

今と違ってその頃は不機嫌な顔でもなかったと思うし、割と誰に対してもヘラヘラしてたと思う。

だからからか、めちゃくちゃいろんな人に嘗められて、許容と不愉快のいじりが完全に二分していた。別にいじられキャラが嫌だったわけではない。仲良い人とは仲良かったし一緒にバンドやろうって言ってくれた人もいた(色々あって叶わなかったが)。

ただしんどかったのは許した人間でもない奴にいじられていたのが何よりも苦痛であった。

僕も人間なので仲良い人なら許せる事もただの他人だと猛烈に不愉快に感じる。いじりはする側とされる側の両方の合意で成り立っているのだ。ただそれを理解している人間があのクラスには少なかったのだろう。「██(俺の本名)なら許される」「██なら何をしてもいい」そういう傾向があったのは確かだ。

何よりもそれが既に他のクラスにも伝播していて、もはや取り返しのつかないことになっていたのは言うまでもない。別に虐められていたわけではないので、親にも言わなかったし先生にも言わなかった。ただ癪に障ることが増えただけの事だったのだ。

それでも苦痛は苦痛なのだ。何をしても嘲笑され、俺が何かを頑張っている事は可笑しな姿であり、失敗してる場面はもっと面白いのだ。結局「誰かに認められる」ことを全く経験しなかった成れの果てが今の自己肯定感の欠落なのだ。

部活は野球部だったが下手くそだったので試合には殆ど出られなかった。チームに茂野吾郎みたいな奴がいてそいつがめちゃくちゃウザかったのは覚えている。だから俺は茂野吾郎が嫌いなのだ。

 

それはさておき。

 

中学には彼女ができた。しかしそれはむしろ僕の自己肯定感の欠落を助長させる方向へと加速させる要因にしかならなかった。

別に付き合った人が悪かったわけではない。前述の通り、僕は周りから嘲笑の的であったため、その時も色々と言われた。

何よりも文字通りの嘲笑がキツかった。何かの用で学校に向かう途中、前方から女学生2人が来た。彼女らは同学年で付き合っていた彼女と同じ部活であった。1人はアベと言い、もう1人は名前が思い出せないがいつも一緒にいたので腰巾着みたいな者だろう。

彼女らはすれ違いざまに僕を酷くバカにしながら通り過ぎて行った。何を言われたかはあまり覚えていない。が、バカにされていたのは確かだ。

だがそれ以上に恐ろしく感じたのは「僕と付き合っている」という事実で彼女まで馬鹿にされているのかもしれないという可能性だ。

自分が悪く言われるのは別にいいのだが、懇意に接してくれる人までも馬鹿にされるのはとても耐えられない。それが何よりも恐ろしかった。

実際そのようなことがあったのかは分からないが、以降僕はずっとその恐怖と付き合い続けている。

こないだ高校で同じクラスだった女の子と話す機会があった。その頃の僕を彼女は「あまり話しかけてもすぐ会話を終わらせていた」と評してた。これも「人と関わりたくない」という気持ちが出てしまったのだろう。

 

 

ツラツラ書いたが結局大きなことなんて何一つない。別に人生が酷くめちゃくちゃにされたわけでも無ければ自殺を迫られるほどの出来事があったわけでもない。ただ、これが問題なく過ごしてきた人達と同列に並ぶ人生である事が苦痛なのだ。

僕は精神障害者ではない。ただ健常者と呼ぶには欠落したものが多い。いわゆるギリ健なのだ。

僕の思う健常者は辛いことがあっても周りを信じそして信じられることで苦悩を打ち破る。そして自殺について考える事もなく、日々周りにいる人たちに感謝をしながら、真っ当な人生というものを歩んでいく。

少しでも自殺について考えた時点で、僕は本物の健常者にはなり得ないのだ。そもそも健常者という言葉も間違っているのだ。ただいまはそれを当てはめる言葉は無い。

楽しいことをしたい。楽しいことだけ考えていたい。もう辛いことはしたくない。しんどいのだ。自分の人生と向き合うのは。取り返しがつかないと分かっていても、それでもこれと向き合うのは些か見合っていない。

 

この先"生きてて良かった"と心の底から感じることはあと何回あるのだろうか。それが無くなった瞬間、本当の意味で死んでしまうのだろう。